【レポート】

プレイベント第2弾

「北アイルランドという<場>----映画の背景とその現在」

講師:尹慧瑛さん

2008年1月12日

会場:space neo

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- 無断転載不可-

映画への理解をさらに深めるべく、プレイベント第2弾は気鋭の研究者尹慧瑛さんに登場していただきました。

尹さんは去年の3月にこれまでの研究活動のまとめとして『暴力と和解のあいだ』という本を出版されました。私たちも映画を読み解く上で、シーンの理解を掘り下げていく上でも、尹さんが執筆された『暴力と和解のあいだ』は非常に参考になりました。その尹さんをお迎えして、「北アイルランドという<場>」の基礎知識、成立から現在まで、“紛争”とはなんだったのか?、分断とは、また和平、ピースとは? 北アイルランドの歴史や記憶、経験、アイデンティティをめぐる諸問題、またそこから見えてくる世界、日本での問題などにまで多くの示唆を与えてもらいました。限りある時間のなかでのレクチャー、またHP用のまとめとなってしまいましたので、さらに興味を持っていただいた方にはぜひ『暴力と和解のあいだ』を読んでみてください。

こちらも定員以上のご予約を受け、第2部では松井ゆみ子さんを迎えおいしい料理とお酒で団らん交流会を持ちました。雨にも関わらず参加してくださってみなさんありがとうございました。

レクチャーのレポートを以下、掲載いたします。尹慧瑛さんどうもありがとうございました。

(レポート採録:NIFF実行委員会 浅川志保)

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講師:尹慧瑛(ゆん・へよん)さん

論文「北アイルランドのユニオニズムにおける自己表象:「包囲」された「ブリティッシュネス」」にて社会学博士号を取得。日本学術振興会特別研究員、東京外国語大学などでの非常勤講師を経て、現在、一橋大学COE研究員。著書に『暴力と和解のあいだ?北アイルランド紛争を生きる人びと』(法政大学出版局)、論考に「北アイルランド紛争を生きる」(『暴力の地平を超えて』(青木書店)収録)、「いくつもの<分断>を超えてー北アイルランドのエスニック・マイノリティと<社会の共有>」(『<移動>の風景』(世界思想社)収録)などがある。

尹慧瑛さん著作へリンク

● イントロダクション

北アイルランドを語る上で、“紛争”は重要な背景になってきますが、北アイルランドとはどのように考えることができる<場>なのか。特殊な暴力がうずまく、理解し難い遠い場所と決めつけるのではなく、私たちが日本でも抱えている問題を考える上で、北アイルランドはいくつもの手がかりを与えてくれる、またそれらが先鋭的な形で立ち現れているのではないか? 北アイルランドという<場>を読み解くにはどういうことを考えたらいいかということを私自身ずっと気にしてきました。

● 北アイルランドであるということ

「北アイルランドを研究しています」といつも人に自己紹介するのですが、次に会った時に「尹さんはアイルランドの研究者ですよね」と言われることが少なくありません。北アイルランドとアイルランドを分けて考えるのは難しいことかもしれません。ですが、私は「北アイルランド」であるということが重要だと思っています。それは次の2点に集約されているのではないかと思います。まず1点目はイギリスによるアイルランドの植民地支配の結果、そのことによる様々な矛盾や問題が凝縮されている<場>であること。2点目は30年以上にわたって、小さな場所で暴力的な対立が繰り広げられてきた結果、社会が著しく分断されてしまった<場>であるということ。この2点において、「アイルランドでしょ?」と言われることとの明確な違いがあるかと思います。

北アイルランドはブリテン島のとなりのアイルランド島の北部の地域です。6州で構成されています。首都に位置づけられているのがベルファストという港町で、経済的にも政治的にも重要な意味を持ってきた場所です。タイタニック号が作られたのもこの地ですし、造船業など重工業の拠点としてかつて栄えていました。第2の都市であるデリーは、ロンドンデリーとも表記されます。映画祭で上映される『デリ−・ダイアリー』にもでてきますが、デリーという町も北アイルランドの歴史において、象徴的な場所になっています。

北アイルランドは地図を見ますとアイルランド島の一部でアイルランド共和国と地続きでありながら、政治的な位置づけで考えますとイギリスの一部です。これはユニオンジャックの構成や、国名を見ても象徴的だと思います。昨年末にウェールズのことでも話題になった国旗は、イングランド、スコットランド、北アイルランドの3つの旗が組み合わさって連合王国が成立したというのが分かります。国名も私たちがふだん「イギリス」と呼んでいるその正式名称は、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)であり、それによっても北アイルランドは今現在、連合王国の一部であることが分かると思います。

● 北アイルランドの背景、社会と歴史

まず、北アイルランドの歴史を簡単におさえておきたいと思います。イングランドによるアイルランド支配の始まりは、一般的には12世紀から始まり、17世紀から決定的なものになっていったと言われています。「アルスター」とは伝統的な呼び名でアイルランド島の北部のことを指しますが、そこにイングランドやスコットランドから多数のプロテスタントの入植者が入ってきたことで、プロテスタントとカトリックの対立の原型ができたと言えます。2つの宗派と経済的・社会的な優劣、支配する側と支配される側という権力関係がこの時期に形成されたということです。そして、1801年にアイルランドは併合され、イギリス領になります。

当然、その後にこのような状況、さまざまな支配に対する抵抗が展開されます。19世紀はアイルランドのナショナリズムが高揚した時期だと言われています。それがようやく実を結んだのは、、1920年代の初めにアイルランド自由国ということで、限定的ではありますが自治を認められ、それが現在のアイルランド共和国に繋がっていきます。限定的と言ったのは、アイルランド全島ではなく、南部の26州だけが自治を認められ、北部はプロテスタント系の勢力が優勢だったため、北アイルランドとして英国領に残留することになったためです。アルスター地方は9つの州です。そのなかの6つの州が北アイルランドとしてイギリスに留まりました。その時の人口比をみると、イギリス領に残った北アイルランドでは2対1でプロテスタント系住民のほうが多数派でした。

このような流れからも、北アイルランドは成立した瞬間から大きな対立軸を内部にかかえていたと言えます。図式的に説明をしてしまいますと、北アイルランドの帰属に関する2つの大きな政治的立場があります。まずひとつは、「連合維持派」です。北アイルランドとブリテンの連合維持を主張する人たちを【ユニオニスト】と言います。もうひとつは、いつかは連合を抜けて、南のアイルランド共和国と統一したいと思っている人たちを【ナショナリスト】と呼びます。一般的にはプロテスタント系住民の大多数がユニオニストで、カトリック系住民の大多数はナショナリストであると言えます。ただ、この用語の使い分けというのは難しく、必ずしも、すべてがイコールで結べるわけではありません。しかし紛争が自動的にこれらの概念を結びつけて、それによって自動的に相手を敵に、暴力の対象として認識し、レッテル貼りをするシステムを作り上げてしまいました。そのことを私たちはよく見直していかなければいけないと思います。

北アイルランドは成立以降、ユニオニスト系の政党が一貫して支配的な体制を敷いていました。しかし、さきほど人口比率が2対1と言いましが、これは圧倒的な多数派ではなく、地域によっては優勢がひっくり返ることもある、危なっかしい多数派だったと言えます。そういった背景もあり、ユニオニストの体制側はあらゆる手段を用いて権力構成が転覆しないように努めたわけです。そのため、選挙権、公営住宅の割当、公務員の雇用問題などにおいて、宗派間での不平等な待遇が常態化していきました。

それに対する異議申し立てとして、1960年代後半からカトリック系住民による公民権運動が展開されていきます。世界でもさまざまな反体制運動が高揚した時期でもあり、実際アメリカの公民権運動から影響を受けたとこともいろんな人が証言をしています。公民権運動はいくつかの改革を成し遂げましたが、プロテスタント系とカトリック系住民の間に横たわっていた、様々な壁、溝をむしろ顕在化、先鋭化させるように働いてしまい、そしてついに、1969年のデリーでの暴力的衝突をきっかけに北アイルランドは“紛争”に突入していきます。

● “Troubles”としての紛争

日本語で「紛争」と書くと戦場での闘いを想像しがちなのですが、北アイルランド紛争は英語圏ではTroublesと言いまして、いろんなトラブルがいろんな場所で散発して、そのことがひっきりなしに継続していく、という状態でした。最初はいくつかのほんのささいなトラブルが、30年以上も続くものになっていったのです。

「紛争」は北アイルランドを語る際にはずせないわけですが、「紛争」がなにをもたらしたのかといいますと、そこに暮らす人々を大きくふたつに分断しました。分断された人々。暴力が日常化していく中で、なるべく暴力、接触をさけるように、住み分けが行われていきます。居住区、教育の場、学校、職場、結婚などあらゆる社会的領域の分断が進行していきました。

紛争のアクターを考えたいと思います。誰が紛争を展開させてきたかというと、それは武器を持った人たちです。まず武装組織が挙げられます。それぞれの主張を暴力をもってでも遂行しようする人たちです。先ほど話したナショナリスト系でいいますと【リパブリカン】と言います。代表的な勢力はアイルランド共和軍=IRA及びその分派などがあります。一方で、ユニオニストの過激派は【ロイヤリスト】と言います。アルスター義勇軍=UVFですとか、アルスター自由戦士=UFFなどがあります。これらは映画の台詞にもよく出てきます。

ただ武装組織だけで30年のこう着状態が続いたかといえばそうではなく、もうひとつ警察、【アルスター警察=RUC】もテロ鎮圧という名目の下、結局は紛争における暴力の主体となっていきました。同様に【イギリス軍】の存在もあります。69年のデリーでの衝突をきっかけに北アイルランドに派遣されたわけですが、これもけっきょく仲介を果たすというより、むしろ火に油を注ぎ、IRAのオフィシャル・ターゲットとされ、まぎれもない紛争の重要なアクターとなっていきました。紛争は武器をもった人びとによっておこなわれてきたにもかかわらず、紛争全体の死亡者の54%、負傷者の68%はいずれにも属さない民間人でした。

● 分断の経験

地域や階級などによって紛争経験は異なりますが、そうした経験は物理的な暴力だけではなく、ふだんの人間の当たり前の暮らしにも大きな影響を与えていきました。暴力の日常化によって、居住区、教育、職場、婚姻において社会の分断が促進されていったのです。居住区の分離は特にベルファストなどの都市部に顕著です。それぞれの地域や通りにはユニオンジャック、またはアイルランド三色旗が掲げられているといったことや、描かれている壁画の内容で、ここがどちらの地区かということがすぐに分かり、シンボリックな意味でも居住区の分断は紛争を物語っています。ただし、全部の通りがそうだというわけではなくて、ミドルクラスの人々が多く住む地域では混住が進んでいます。

カトリックの地域とプロテスタントの地域の分断があるということは、その端、境目、両方が隣り合わせに接している地域があるわけです。そういった場所をインターフェイス・コミュニティとい言うのですが、まさにそれらが紛争の現場になっていきました。分断されていて、互いの顔が見えなくされているにもかかわらず、一触即発の危険をつねに抱えているわけです。同時に貧困層が多い地域ともされていて、暴力と階級、貧困とが密接に関わっているのです。

おおむねカトリックはカトリック・スクールに、プロテスタントはプロテスタント・スクールにといったように、それぞれ別の学校に通い、教育の現場も分かれてしまっています。最近は両方の宗派の子どもたちが通う統合学校も増えてきましたが、それは生徒数でいえば全体の5%にも達していません。したがって、多くの子どもたちは、違うコミュニティに属する子どもたちと日常的に会う機会をあまり持てない状況にあります。歴史の授業では、一方ではイギリス史を学び、他方ではアイルランド史。またスポーツの時間には、一方ではクリケット、他方ではゲーリック・フットボール。また学校内に掲げられているのは、ユニオンジャックとアイルランド三色旗といったように、異なる精神形成、ナショナル・アイデンティティを育んでいくなかで、ごく自然ななりゆきとして、互いへの偏見や、ステレオタイプを持ちやすい環境にあると言えます。

また職場では、現在両派の融合が比較的進みつつあると言われていますが、歴史的には、カトリック系の人々に対する、制度上、慣行上の雇用差別が長い間続いていましたので、カトリック系が多い職場とプロテスタント系の多い職場があるというように、分業構造が長く続いていたということは言えます。居住区などが分かれているので、地域に根ざした中小規模の会社や自営業などでは、異なるコミュニティの人が混じりあって働くことが少ないということもありました。

婚姻については、居住区、学校、職場が違うと恋愛をして結婚に至るという深い人間関係を育む機会も少ないと言えますが、大学や、職場などで出会って結婚にいたる人たちがいて、宗派を越えた婚姻をしている人たちが1割いるという統計があり、そうしたカップルを支援する組織もあります。大変な思いもされている方もいて、親戚家族の反対にあったり、武装組織の制裁の対象や攻撃の対象に勝手にされてしまうこともあります。幸せになりたいと選んだことがポリティカルなことにいつも刷りかえられてしまうというわけです。

● 「宗教紛争」の枠組みでは見えてこない

北アイルランド紛争は「宗教紛争」と日本で表現されることもありますが、そうでなく、政治的、経済的、社会的、歴史的いろんな要因が複雑に関連しあって、その総体として解きほぐせないほどからまりあってしまった北アイルランド問題というのが背景にあるといえます。それを暴力でなんとかしよう考える人たちがいて、暴力には反対だけれども直接の犠牲者になってしまった場合、自分たちはどのように振る舞えるか。憎しみや暴力の連鎖をなかなか断ち切ることはできません。そこには複雑な問題があって、たんに宗派が違うから対立し合っているということではないわけです。北アイルランドにおいて、カトリックであるとかプロテスタントであるということは、自分がどこの集団に属しているかということを表すためのひとつの表現であり、たとえ教会に行かなくてもカトリックであると言ったり、帰属意識やアイデンティティのしるしとして、カトリックであるとかプロテスタントであるという言葉が使われているということです。

日々再生産される分断というものが、紛争を解決し難いものにしていったのですが、またその紛争によってさらに分断が強化され、終わりのない円還を描いてしまったのが北アイルランド紛争であると言えます。紛争解決と和解を考えるのに、ではなにが必要なのかを考えると、まず暴力をいかになくせるのかということがあると思います。政治的な交渉や武装組織の停戦が実現してきましたし、トップレベルの政治交渉、制度的しくみの改正などが進んできました。たしかに暴力は少なくなってきたけれど、分断の問題が一気に解消されることにはなりません。分断をどのように乗り越えるのかということまで視野にいれないと、紛争解決や和解は単なるお題目に過ぎなくなってしまいます。

● ユニオニズムとは?

【包囲の心理】と【ブリティッシュネス】

ふたつのコミュニティができてしまっていると言いましたが、日本ではナショナリストの側にシンパシーを寄せるというかそれに寄り添う形で研究したり、書いたりということがこれまで多かったと思います。私自身はむしろ「ユニオニズム」ってなんなんだろう?ということに興味を持ち、大学院での研究テーマにしました。ユニオニストは、映画などでは支配者然としていて、頑固で偏狭でと描かれることが多いのですが、それでユニオニズムを読み解けるのだろうかと考えました。私にはこれまでずっと考えてきたふたつのポイントがありまして、ひとつはユニオニズムはマジョリティとされていますが、マジョリティゆえの弱さというものを持っているのではないか。それを考えるために【包囲の心理】と【ブリティッシュネス】という概念を検討しました。2点目として、ユニオニズムは一貫して連合維持を主張してきたという歴史、ある程度の政治的思想的な体系を持っているわけですが、では今現在、ユニオニズムはどこに向かっていっているのか。それは方法のいかんに関わらず、とにかく自分たちの居場所をなんとか確保しようと試行錯誤するものとしてあるのではないかということです。

ユニオニストたちは【包囲されたブリティッシュネス】という状況にあるのではないかというのが、私の研究における主張です。ユニオニストに着目した意味は、ふたつの対立軸があり、根深い断絶がある時に、両方の視点に立って問題をとらえなければ結局のところなにも見えてこないのではないか、ということにあります。それは、けっして私自身がユニオニストになるということではなくて、ユニオニストの目を持ってなにが見えてくるか、そして私はそのことをどのように考えるのか、ということなんです。彼らがよく使う言葉として、【siege mentality=包囲の心理】というのがあります。常に我々は何かに包囲されているという感覚です。ユニオニストの歴史的経験や歴史的記憶と深く関わりながら、しばしばこの言葉が使われてきたのです。

ユニオニストにとって【イギリス的なるもの=ブリティッシュネス】というのは、そこにすがることによってなんとか自分たちを保つ、自分たちの方がより優れていると自信を持てる根拠になってくるわけです。ユニオンジャックをあちこちに飾ったりすることなど、イギリス本土の人たちから見れば、何を今どきあんなことをやっているんだ?と言われてしまうでしょうが、シンボルを大事にする行為というのは、彼らの不安の裏返しとも言えると思います。しかし、ユニオンジャックはイギリス本土では崩壊しかかっています。それぞれの地域の主張があり、連合王国のあり方そのものが揺らいでいますし、イギリスは様々な移民が入ってくることでマルチ・カルチュラル、マルチ・レイシャルな国になっているので、いわゆる“白人でプロテスタントのブリティッシュ”というのが概念として成立しなくなってきています。移民の第三世代、第四世代が、「ブラック・ブリティッシュ」や「ブリティッシュ・チャイニーズ」といったかたちで、自分たちをまぎれもないブリティッシュだと言う時に、ユニオニストたちが主張する古色蒼然としたブリティッシュネスはどこにあるのだろうか。北アイルランドだけにあるのか、シャンキル・ロードだけにあるのかということになってしまうのです。一生懸命すがっているもの自体が崩れかかっているいま、なにを彼らは拠り所にしていくのかという意味で、ユニオニストはいよいよ大きな転換点に立たされていると思います。

ユニオニズムにとって転換をせまった最初の決定的な経緯は、1985年のイギリス=アイルランド協定といわれています。ごく簡単に言ってしまうと、将来的なアイルランド統一の可能性を示唆した内容だったのです。「サッチャーがやったんだ。サッチャーめ!」とごりごりのユニオニスト、ロイヤリストのおじいちゃんに聞くと恨み節がでてくるのですが、このことをきっかけに、ユニオニストの向かう方向にも内部分裂や多様化が顕著になってきます。そして先ほども言いましたように、自分たちが自分たちでいられる場所をなんとか確保しようという試みとして、今現在も続いていっていると思います。それはけっしてユニオニストに特有の問題ではなく、自分たちがいままであぐらをかいて坐っていた基盤が崩されかかっていることへの不安や恐怖の問題。日本でもヨーロッパでもいろんなところで、外国人労働者や移民が自分たちの仕事をとっていくという不安や恐怖から、移民排斥の反応が出てくるといった問題をえぐり出しているので、これは他人事ではなく日本に暮らす私たちにもかえってくる問題だと考えています。

●「ポスト紛争」社会としての北アイルランド

その「ポスト」がもつ意味とは?

現在の北アイルランドの状況を最後にお話ししたいと思います。1998年に歴史的な和平合意、30年にも及んだ北アイルランド紛争に結着をつけたと一般的に評価されている和平合意をもって、北アイルランドは変わりつつあると見ることができます。ポスト紛争社会への道のりを北アイルランドは歩みつつあるということです。「ポスト」という言葉は、終わったということではなく、様々な問題は残り、それも含みながらも、新たな位相に向かっているということだと思います。逆に言えば、すべての問題が解決したのではなく、まだ紛争は終わっていないんだということです。たとえば和平がすすむことによって新たな問題を抱えた人たちもいて、映画『眠れる野獣』に出てきますが、停戦宣言によっていわば「失業」してしまった武装組織の人たちは行き場がなくなり、もっと厄介な問題を抱えることになります。ピース・プロセスと言われる和平交渉の過程は1990年代以降、前進していると見ていいと思いますが、このことと、実際にそこに暮らしている人たちの感覚とのギャップが問題になってきます。政治家同士が華々しく対話して外国のメディアがすばらしいとはやしたて、EUがお金を出し、町が再開発されていくことは表面的にはいいことづくしのように見えますが、たとえば最も紛争の被害を受けてきたワーキングクラスの失業者たちの暮らしが本当によくなっていったのか。さらに厳しくなっていたり、政治不信が一方でより強まったという見方もあります。

また、移民の存在はこのピース・プロセスのなかで最近とみにクローズアップされてきています。イギリスの移民と同じようなかたちで、つまりかつての大英帝国の植民地だった地域を中心に、北アイルランドにも移民がやってきています。紛争の中では彼らに対する差別、不平等の状況などは取り上げられてきませんでした。和平合意の締結後はカトリックとプロテスタントの衝突はまずいので移民に矛先が向かうといったように、暴力の対象が変わっただけで問題の根源はけっして無くなってはいないという構図が浮き彫りになってきました。北アイルランドが本当に新しい社会になろうとするならば、カトリックとプロテスタント間のことだけではなく、あらゆる差異や違いを含み込んだ上でそれらを同時に考えていかなければいけないと思います。実際そのような形で新しい制度が作られているので、その点では北アイルランドは、これからの多文化社会のあり方を考える上で、非常に面白い場でもあると言えます。

停戦と和平合意というピース・プロセスにおける大きな動きについておさえておきたいと思います。

1994年9月、1997年7月に停戦が宣言されました。1998年4月に「グット・フライデー・アグリーメント」、ベルファスト合意とも言われますが、それが締結されました。

主な内容は次の通りです。

・多数派の同意にもとづく北アイルランドの地位の確認

・比例代表制による北アイルランド地方議会の開設および行政府の設置

・南北評議会の設置

・イギリス・アイルランド評議会の設置

・武装組織の武装解除

・人権章典の制定

これらの和平合意の内容を実現しなければいけないわけです。実現させるためには様々な問題が噴出し、その度に何度も北アイルランド自治は危機に陥りました。1999年12月に発足した自治政府はIRAの武装解除問題やシン・フェインのスパイ容疑事件などがあり、これはシン・フェイン党がスパイをしかけたと嫌疑をかけられたのですが、実際はイギリス政府のスパイでそのスパイが自殺したという陰謀めいた事件などがあり、そうしたことをきっかけに自治が何度も停止されたりしました。それが2006年の10月のセント・アンドリュース合意で、もう一度自治政府を再開させようと、シン・フェイン党(ナショナリスト急進派の政党)の代表と民主ユニオニスト党(ユニオニスト急進派の政党)の代表が、同じフレームに収まって写真に撮られるという、最もありえないツーショットが実現したわけです。イアン・ペイズリーとマーティン・マクギネスを正副首相とした連立政権が去年の5月に発足したことは、その意味では2度目の本当に「歴史的な」出来事であったと言えます。

●ピースとは?

平和ということが重要な問題としてあちこちで語られていますが、実のところ平和の示す意味は多種多様で、ある人の平和はある人に対する攻撃であったりすることもあるのです。日本で「暴力はだめだよ、平和がいいよ」とさらっと言えてしまう状況というのは、そのことについて切実に考えなくてもすんでいるという状況の裏返しであると思います。ポスト紛争社会の北アイルランドでは、ピース・プロセスが進みつつも、個々の問題がまだまだ残っているといえます。

たとえば、「暴力の犠牲者にかかわる真相究明」については、紛争でたくさんの人が命を犠牲にしましたが、一説によればいまだに半数以上の事件が司法において「どういう状況でその犠牲がおきたのか」ということを明らかにされず、遺族の人たちは大切な人を突然失い、まったく正義が実現されていないままでいるということがあります。また、近年、ロイヤリストの武装組織や警察やイギリス軍が共謀して、カトリックの「標的」となる人物にダーティなやりかたで暴力を行使していたことが次々と明らかになってきていまして、その意味でも真実究明の動きが少しずつ盛んになっていると言えます。

「武装解除、治安維持の問題」ではIRAは武装放棄したのですが、ロイヤリスト系の組織や警察はどうするのか、また誰が治安を維持するのかという問題も残っています。「社会的格差の拡大」ということでは、格差社会は北アイルランドでもすでに以前から問題となっていたのですがが、紛争が収束して、再開発されリッチになった北アイルランド社会をエンジョイしている人もいる一方で、紛争の現場で暮らしてきた人たちは失業問題も解決されないまま、取り残された形で無力感や疎外感を抱え込み、また武装組織に戻らざるを得なかったり、自殺者が増加したりしています。ピースによって利益を得る人と、疎外される人との開きが生まれてしまう問題をどうするのか。そして「移民」がますます増加して、彼らへの攻撃が顕在化していく中で、新しい北アイルランド社会がどのようにそれを受け止めていくのか。そうしたことも、難しい課題ではありますが、ピースというものを豊かに考えていく上で欠かせない視点であると思います。

(おわり)

- 無断転載不可-

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