オマー

オマーはどうやって作られたか。

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オマー爆破テロの映画化はチャレンジの連続だった。傷は生々しく、まだ早すぎるという人もいる、意見が分かれるのは必至だ。また事件について未だ解明されてない事実もあり、それを描いていいものかどうかも判断が難しい。しかしこの5年間、オマー・サポート・アンド・セルフヘルプ・グループ(訳注:以下、オマー被害者の会)は爆破犯の逮捕と、きれいごとばかりの政治家や警察の責任追及に向けて、断固たる意思と不屈の精神で闘い続けてきた。この、今も続く遺族たちの地道なPR活動そのものが一貫した筋道のあかしであり、本作品の土台と、正当性のよりどころとなっている。

ポール・グリーングラスがオマー被害者の会に初めてコンタクトをとったのは、ちょうど『ブラディ・サンデー』を撮り終える3年前のことだった。「紛争の柱ともいえるのが、対立が激化するきっかけになったブラディ・サンデーと、もう戦いはやめるべきだと誰もが身にしみて思ったオマーの事件だ。この爆破事件は紛争中最悪の惨事であるうえ、英・アイルランドの誰もが、血で血を洗う抗争の時代はようやく終わったと思いかけた矢先の出来事だったため衝撃はさらに大きかった。悲劇から生まれたオマー被害者の会の活動はわれわれの希望の光だ。私自身の中では一作目を撮った後、この二作目でピリオドを打たなくては、という思いが強かった」。

『ブラディ・サンデー』同様、本作もイギリスとアイルランドの共同制作である。『ブラディ・サンデーの目撃者』の著者であり、前作にも参加したドン・ムランとともに、グリーングラスはオマー被害者の会とギャラガー家に協力を頼んだ。彼らの協力なしにこの映画制作は実現しなかっただろう。共同脚本に『5月33日』(訳注:2004年BBC製作TVドラマ。日本未公開?)のガイ・ヘバート、監督に『キング・オブ・ファイヤー』のピート・トラヴィスを迎え、さらに制作の現実化が進む。製作は『マグダレンの祈り』のエド・ギニー、「この作品はイギリスとアイルランドのどちらにも大きな衝撃を与えた大惨事を扱っている。両国の映画関係者の協力がまず必要だし、犠牲者の遺族の代表であり、悲劇の波にもまれながらも宗教や考え方の違いを越えて結びつくオマー被害者の会の物語を描くためには、われわれ製作チームの共通の経験と理解が絶対に欠かせないと感じた」。

31名(訳注:公式には29名。亡くなった母親の胎内にいた双生児を数に入れる場合もある)の命を奪い、小さな町を不幸のどん底に叩き落し、消せない傷跡を残したオマー爆破テロ。映画化の時期について、グリーングラスはこう語る。「このての映画を撮るタイミングの是非を判断するのは非情に難しい。もちろん誰にも邪魔されず静かに喪に服したい遺族はあるが、この5年間、オマー被害者の会は訴訟の準備を進めるあいだ常に公衆の面前にさらされてきた。彼らの歩んできた道をみんなに理解してもらうため、より多くの人々に話を聞いて事実を知ってもらう潮時だと彼らも感じたようだった」。

ドン・ムランは紛争による犠牲者のための活動に身を投じている。『オマー』撮影中は遺族との仲介役という重大な役目をまっとうした。遺族との最初の対面は「思うようにいかず、衝撃的で、痛ましかった」という。遺族たちは映画化に賛成しながらも様々な反応をみせた。「爆破容疑者や英政府、元RUCに対して訴訟の準備を進めている人は経緯を広く一般に知ってもらう手段として映画が役に立つと考え、癒えない悲しみと今でも戦っている人は、作品の完成を望むが撮影には協力できないというのから反感まで様々だった。またオマー市内の宗教関係者、市民団体の運営者も映画制作に深い理解を示してくれた」。

この1回目の対談の後、本作品の制作が決まり、オマー被害者の会と制作スタッフとのあいだで活発なやりとりが始まった。

脚本のためのリサーチをおこなったヘバートは、オマー爆破を「北アイルランド紛争におけるあらゆる宗教的、政治的主張を片端から刈り取った狂人の手の中にある草刈り」がまだという。「オマー関連でまだ未解決の問題点は犯人を裁く権威者の判断によるものだ。これは政治家や警察を信じてきた人々にとってはとりわけ残酷な仕打ちだった」。脚本の編集にあたったルーシー・ダイクは、「オマー被害者の会は、爆破に関するどんなショッキングな事実もあまさず描写してほしいと言い張った。彼らに完成した脚本を読んでもらった日が一番ハードだった。その前に私たちはそれぞれの家族と会い、彼らが作品の中でどういう描かれ方をしているかをこと細かに説明した」という。チャネル4ドラマ部長のジョン・ヨークは脚本を読んで、この作品が「オマー被害者の会の勇気と再生の物語だけではなく、テロリズムがわれわれに与える恐ろしい衝撃についても、説得力を持って伝えることができる」と感じ、ほどなく映画はクランクインした。

オマーで撮影するのは無神経だというので、ロケは2003年末にダブリンでおこなわれた。ダブリン近郊のナヴァンにオマー市街の様子が再現された。監督のピート・トラヴィスは、実在する人々を映画にすることについて、「彼らに制作過程で参加してもらい、心を開いて話をしてもらえるような信頼関係を築きながら、様々な出来事に対する彼らの解釈のしかたをよく理解すること、彼らの目線でものを見ることがポイント。われわれの役目は完成度の高い作品を作ること、語られるべき物語だからみんなが観にゆく、という作品を作ること。その使命を任されたというのは大変な名誉だ」と語る。「映画というのは、壁にとまった一匹のハエのドキュメンタリーを撮影する手法でしか撮れないんだ。生のリアリズムしかない。真実の物語を撮りたければ、照明も技巧も何も使わず手持ちカメラで撮る。ぴったりのタイミングでその瞬間をとらえないといけないし、できれば1回のテイクで撮りたい。古くは『アルジェの戦い』や、最近だと『Z』、『ブラディ・サンデー』など、ドキュメンタリー手法で撮影された映画が参考になった」。

物語の柱となるのは、21歳のエイデン・ギャラガーの死とその家族の悲劇である。中心人物にエイデンの父親マイケルが選ばれたのは、彼が遺族のスポークスマンとして活動し、家族とともに事件のことを広く知らせたいという意思を明らかにしているからだ。「私はこの作品を、卑劣で邪悪な出来事の渦中で、生き方や考え方の違う普通の人々が真実と正義のために戦おうと一致団結するさまを描くドラマだと解釈したい。絶望の中に芽生える希望というメッセージが伝わればいいと思っている」。マイケルは自分の役をオマー出身のジェラルド・マクソーリーが演じるというのを大そう喜んで、彼と2人で役作りの話し合いにかなりの時間をさいた。マクソーリーの演技には監督も満足している。「ジェラルドのおかげでオマーの地元っ子の雰囲気がすごく出せたと思う。彼は本能で演じる役者だ。抑えた演技が見る者の心を大きく揺さぶるんだ」。前作『ブラディ・サンデー』にも出演したマクソーリーはギャラガーになりきるのに苦心したようだ。「私は脚本に描かれた男とその家族の心理的な動きを自分なりに解釈して、それを表現することに集中した。何がそうさせているのかは知らないが、彼は静かで、他を鎮静化させるカリスマ性を持っている。彼の奥さんによると、とうとうと意見を述べる政治家に対して彼は“あなたの言ってることは本当に正しいんですか?”などと言える人物だと言う。彼が対峙している権力者たちは、ある意味、彼のこの物静かなトーンにひどく狼狽させられる。マイケル・ギャラガーを演じるのは辛い体験だったが、いい出来になっていることを願う。自惚れというのではなく、アイルランド人俳優としてこの映画の中心人物を演じられたことを誇りに思っている」。

結局のところ、この映画はオマー被害者の会を世に広めるための作品だとドン・ムランはいう。「この作品によって彼らの活動と心の苦しみを国内外の多くの人々に知ってもらえるし、さらに言えば、平和への危なっかしい道のりと、もう二度と誰の身にも起きてほしくない出来事をいましめとして伝える手だてにもなると思っている」。またこれは、マクソーリーが「普遍的なストーリイだ。世界中どこにいても、どんな人でも、ギャラガー家の痛みと喪失感が分かるはずだ」というように、被害者家族の心の傷と再生に向かう旅を描いた感動的な作品でもある。エド・ギニーは『オマー』を、「これでおしまいにしてくれ、という心の叫びだ」という。「北アイルランド紛争の真の犠牲者である、なんの罪もない一般市民の視点から描かれた戦いの歴史という見方もできるし、彼らがいかに、国家、階級、宗教のあいだにある堅固な結びつきに抵抗してきたかを知る作品でもある」。

(プレスリリースより抜粋、翻訳:吉田ひなこ)

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